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<連載政治小説>

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草野 洋
3.決断

 いつも9時までに大沢家に入っていた飯嶋理沙は、30分早く大沢家の勝手口からキッチンに入った。すでに応接間には来客があり、大沢栄二の高笑いが聞こえる。
 理沙はキッチンの隣の納戸に入り、息をひそめた。そして昨日帰りに脱いでたたんだカーディガンに腕を通した。すぐに鍵を確めた。確かにポケットの上から触ってみると鍵はまだあった。秘書が出てきたら正直に「鍵がポケットに入ってました」と言おうという気になったが、「玄さん」での一部始終を考えると、やっぱり「知らない」で通したほうが家政婦協会や、他の者に迷惑がかからないとも思った。
 ふとポケットに手を入れたが、鍵は左のポケットではなく、右のポケットに入っていることに気づいた。理沙は昨日裕二との約束があって急いではいたが、右利きの理沙は右手に布巾を持ってテーブルを拭いている時に足元に落ちている鍵を見つけて左手で拾って左のポケットに入れた。左手で拾って右のポケットに入れるような窮屈なことをする筈がない。そう考えているうちに背筋に悪寒が走った。
 <誰かがこのポケットから鍵を出して使い、また元通りに返している。いや、返したのだが、左のポケットに返すべきものを、うっかりして右のポケットに入れてしまったのだ・・・>

 9時になったので、理沙はリビングへ朝の挨拶に顔を出した。そして応接間のドアを少し開けて覗くと、大沢栄二と秘書の新庄政志が来ていた。
「お早うございます。お茶をお持ちします」
と理沙が会釈する。
「おい、新庄君・・・この家政婦さんにも聞いてみたのか」と大沢は理沙を見てあごを突き出した。
「はい、彼女も拾ってませんでした」と新庄秘書が言う。
「ま、仕方ないさ。いまに誰が持ち出したか分かるさ。なあ新庄君、あれが政敵に渡ったところで、今の政治家どもでは俺には何もできんさ・・・」
 大沢は不適な笑みを浮かべた。

 大沢栄二は岩手県出身で脂の乗った50歳、父 栄太郎が病死したあと、その地盤を継いで27歳で衆議院議員に初当選して以来9回の連続当選を果たし、平成元年12月から平成3年4月まで自民党幹部長の要職にあった。
 昭和51年のロッキード事件で逮捕、有罪となった政界のキングメーカー故 田中角栄の目白の屋敷に日参し、その田中角栄のおぼえもめでたく、政界の裏舞台を垣間見てきた。
 また、田中角栄の没後も竹下派「経世会」の中心人物として“竹下派七奉行”の一人にのし上がり「経世会会長」となった金丸信にも側近として仕えていた。
「なあ、新庄君・・・俺はこのごろ、なにか仕掛けられているような気がするんだが、君はそうは思わんか」
「はい、しかし先ほど先生が言われたように、今の大沢栄二に対して誰も仕掛けられないでしょう」
「いや、永田町のことではなく、昨日もアマコスト大使が言っていたが、フリーメーソンに入るとどうなるのかなあ」
「別にどうということはないでしょう」
「そうかな」と大沢は少し沈黙した。「アマコスト大使が帰国してからの勤務先はロックフェラー関連のブルッキング研究所だという。これはシンクタンクで、所長になるというのだからフリーメーソンと親密だろう」
「・・・」
「アマコスト大使は、俺をオドシに来たのか、友好的な訪問だったのかなあ。俺に金丸のオヤジを裏切れとまで言ってきているわけだし、その代わり政権を取らせるとまで言った。確かに現在のアメリカは大統領が政治を動かしているわけではなく、フリーメーソン・・・つまりイギリスのロス・チャイルドやアメリカのロックフェラーに代表される国際金融資本によってコントロールされてるよな。だからアマコストが言うことも分からないわけではないが、俺が自民党にいて竹下派を継ごうとすれば小渕や梶山が必ず足を引っ張る。金丸のオヤジが失脚すれば竹下派会長は竹下先生が一番可愛がってきた小渕だ。梶山も小渕と組んで俺と敵対するだろう。すると俺は何人かを連れて自民党を出ざるを得なくなる。どっちみちリクルート事件や佐川急便事件で自民党は満身創痍だ。ことによったら政界再篇の兆を・・・」
 いつもの癖で大沢栄二は自分の言葉に酔っていた。

「それにしてもあの鍵を誰が持っていったんでしょう。書類は5枚のうち1枚が無くなっているだけだから、だいじょうぶだとは思うんですが」
 そんな新庄秘書の言葉にも馬耳東風の大沢栄二は、幹事長時代に、衆院選のために300億という大金を集めたことに思いを馳せていた。金丸信の意を受けた大沢は、宮沢喜一を始めとする総裁候補を自分の永田町の事務所に呼びつけて面接したことなどを思い出していた。
 こうした豪腕政治手法が、返って大沢の地盤沈下につながっていることも事実だった。
 その最大のダメージは、大沢がNHKの磯村氏を担いで東京都知事選で大敗を喫したことだった。また大沢調査会では、側近の若手が結束しているものの、党内に反撥があるのも事実だ。
 憲法調査会の栗原裕幸とか、外交調査会の河野洋平などからはPKO問題を巡って「頭ごしに決めすぎる」と不満も出ているし、こうした強引なアプローチが「党内民主主義を無視している」という批判につながっている。
 また側近の中西啓介を閣僚に送り込もうとしたり、同じ側近の熊谷弘を綿貫幹事長の目付役にしたりしているために中村喜四郎が離れ、このごろでは梶山静六までが完全に距離をあけている。
 アマコストが言っているように、金丸信はすでに政治資金規制法違反で20万円の罪金を課せられた。こんな甘い当局の制裁に国民は反撥していて、アマコストは金丸の「逮捕」を匂わせた。

 大沢栄二はつぶやいた。<すでに一政会という組織ができ、20人ほどのメンバーで2ヶ月に1回のペースで夕食会を開いている。東京電力の平岩氏が中心だがこれは表向きで、本当のスポンサーはトヨタ自動車の豊田英治会長だ。そして湯水のように金を流してくれるイ・アイ・イーの高橋治則氏。自民党幹事長時代に集めた300億円だって、こうした人たちが中心になってやってくれた。俺が政権を握った場合に、そっくり横を向いてしまうことはないだろう>。
 大沢栄二は唇を噛みしめると「よしっ」と低く頷き、両方の膝をポーンッと叩いて立ち上がった。
「新庄君、臨戦態勢に入るぞ。自民党よ さらばだ」   (つづく)

1.密談

2.拾った鍵


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